変わるもの・変わらないもの

営業を再開してから、約1か月が経ちました。
異常な事態が比較的長く続いていたせいでしょうか、お身体にも反映されているように感じています。

筋肉の緊張は、一瞬でとれるものもあれば、そうでないものもあります。
ここ最近のものか、ずっと前からあるものか、でも違います。
ずーっと前からあるものは、解放されるまでに時間がかかったり、時間をかけても変わらないこともあります。
何度もいらしている方ですと、その「ずーっとあるもの」がときどき「無くなっている」時もあるんですよね。
あらよかった!と思うと、次の時からまたずーっとあったりして。

こりや張りなんかは皆さんもちろんない方がいいと思うでしょう、私もそう思うんですが、その方の身体的・心理的なつらさをとっぱらって考えれば、すごくその人らしさを感じて、あぁ、〇〇さんだなぁと実感するんです。

ここ10年ほどで、食べものからトレーニングまで各種肉体改造がかなり浸透したため、身体つきが変わった方もいらっしゃいます。
すごいなぁと感嘆しながら触れています。

その方が変わりたいように変われたら、それはとても素晴らしいことです。
でも、いつまでもあるものには、その人のこだわりの部分というか、「らしさ」があるわけで、若干のお困りとか、変わりたいという欲求も認めつつ、それでも「らしさ」への愛おしさというか受容というか、そういう気持ちもあっていいんじゃないかと思うんです。

これは、私がここ10年で10kg太ったことへの言い訳ではないのですよ。

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